狭山池の歴史

築造のなぞが明らかに

平成の改修が行われた狭山池では、工事と並行して総合的な学術調査が行われました。日本最古のため池である狭山池には、たくさんの埋蔵物が眠っていることが知られ、それらの発見に大きな期待が寄せられていました。また、実際に見つかった遺構や遺物のかずかずは、当初の予想を大きく上回るものでした。
中でも注目を集めたのが北堤下から見つかった「東樋(ひがしひ)」です。樋というのは池から水を取る設備のことで、狭山池には、慶長13年(1608年)の改修の際に西樋、中樋、東樋の3つの樋が設置されたことがわかっていました。しかし、東樋は敷設後間もなく土砂に埋もれてしまったために、その行方が400年もの間わからなくなっていました。
東樋では時代の異なる遺構が上下2層から見つかりました。下層から見つかったものは狭山池が築造された当初に設置された古代の樋で、使われている木材の年代測定の結果、西暦616年ごろに伐採されたものであることもわかりました。それは狭山池が築造された時期を示すもので、それまで狭山池がつくられた時代はなぞだっただけに、池の歴史を解き明かす大発見になりました。

狭山池が国の史跡に指定されました

かんがい・治水

市域の1割を占める水面

雨が比較的少ないこの地方では、農業に必要な水を確保するために、古代からたくさんのため池がつくられてきました。大阪府内には、今でも約1万1,000のため池があると言われています。都道府県の面積では全国で2番目に小さい大阪府ですが、池の数では5位と上位に付けています。大阪府は全国でも有数のため池密集地なのです。
その中にある大阪狭山市もまた、ため池が多い地域の一つに挙げることができます。都市化の影響でその数は減りつつあるというものの、今もなお市内には140を超えるため池があります。それらの面積を合計し、さらに西除(にしよけ)川や東除(ひがしよけ)川などの河川の面積を加えると、水面がまちの面積に占める割合はおよそ1割にもなります。
「水面のある風景」は、大阪狭山市に暮らす私たちにとって生活の一部であり、最も身近な風景の一つと言えます。

大地を潤し続ける池

大阪狭山市内に数あるため池の中で、最も広い面積を誇っているのが狭山池です。その歴史は古く、築造は7世紀前半にさかのぼります。『古事記』や『日本書紀』にも登場し、現存するものとしては国内最古のため池です。
その狭山池は、長い歴史の中で幾度も改修が繰り返されてきました。奈良時代の行基(ぎょうき)や鎌倉時代の重源(ちょうげん)、安土桃山時代の片桐且元(かたぎり・かつもと)など、歴史上著名な人物が数多く池の改修にかかわってきました。また、各時代の最先端の土木技術を用いて改修工事が行われていたことも、最近の調査で明らかになってきました。狭山池がこの地域にとっていかに重要な池だったかは、こうした史実からも読み解くことができます。
狭山池は灌漑(かんがい)用のため池としてはもちろん、風光明媚な池としても知られていました。『枕草子』に「さ山の池」という記述が登場するのをはじめ、これまでに多くの歌や絵の題材にもなってきました。その美しさは今日にも受け継がれ、昭和16年(1941年)には大阪府の「史跡・名勝」第1号に指定されています。
1,400年という長い歴史を持ちながら、今なお流域の田畑を潤し続ける狭山池は、まさに大阪狭山市のシンボルにふさわしいため池です。

平成の大改修

その狭山池で、池の歴史始まって以来最大規模の改修工事が大阪府によって行われました。「平成の改修」と呼ばれるこの工事で、それまで主に灌漑(かんがい)用のため池として利用されていた狭山池が、洪水を調節する機能を持った治水ダムに生まれ変わりました。
狭山池から流れ出る川の下流域では、都市化の影響で、水田やため池だったところが、近年次々と宅地や道路へと姿を変えていきました。その結果、それまで大地が持っていた水を蓄える力が低下し、たびたび水害が起こるようになりました。特に昭和57年(1982年)8月の台風10号がもたらした大雨では、狭山池下流の西除川が氾濫し、松原市などで3,000戸以上の家屋が浸水する大きな被害になりました。
狭山池のダム化工事は、この水害をきっかけに具体化したもので、昭和61年(1986年)から足かけ16年の歳月と総事業費447億円をかけて、平成13年3月に完了しました。

狭山池の自然

よみがえる桜の名所

また、狭山池はさくらの名所としても知られていました。北堤のさくら並木は特に美しく、毎年春にはたくさんの人が花見に訪れていました。
その狭山池を「さくらの名所」として復活させようと、池や博物館の周辺におよそ1,300本が植樹されました。
さくらというとソメイヨシノを連想しますが、狭山池に植えられたのは主にコシノヒガンという種類で、ソメイヨシノよりも開花時期が早いのが特徴です。3月下旬には大阪で最も早く見ごろを迎え、満開のさくらの下でたくさんの人がお花見が楽しみます。
狭山池は平成の改修工事を終えたことで、大きな節目を迎えました。
先人たちによって守り伝えられた狭山池は、1,400年の歴史に育まれた文化のうえに新しいページを刻みながら、また次の時代へと受け継がれてゆきます。

狭山池さくら開花情報

蝶の森

「狭山池さくら満開委員会」によって、狭山池公園の中につくられたバタフライガーデン。バタフライガーデンとは、蝶が吸蜜する花や、産卵・生育するための食餌植物を植樹した庭のことです。現在、花の咲く吸蜜植物が18種類330本、蝶の食餌植物29種類235本が植えられており、年間を通じて40種類の蝶が観察できます。バタフライガーデンには、四季それぞれ彩り豊かな花が咲き、年間を通じてたくさんの蝶が舞い、狭山池公園を散策する人たちの憩いの場所であり、子どもたちの自然環境教育の場所になっています。

狭山池バタフライガーデン

生きものの楽園

市民の憩いの場である狭山池は、同時に野鳥や水生生物など、生きものの楽園でもあります。改修が行われる前の狭山池は、たくさんの野鳥が訪れる池として知られ、バードウォッチングに訪れる人も少なくありませんでした。
平成の改修では、こうした生きものや環境への配慮から、池の南側に干潟が設けられたり、池の中央に水を循環する装置が設置されたりしました。
そうした努力の甲斐あって、工事中は一時期姿を消していた野鳥たちも、最近は少しずつ戻ってきています。カルガモやケリ、セグロセキレイなど、今では50種類を超える野鳥が観察されるまでになりました。また、アマサギやキンクロハジロ、セッカといった珍しい野鳥も訪れています。

コミュニケーション

市民の憩いの場

公園として整備された狭山池の周囲には、1周約2,850メートルの周遊路が設けられています。ゆっくり歩いても1時間足らずで一周できるため、散歩やウォーキングコースとしてよく利用されています。満々と水をたたえる狭山池や、大阪市内まで一望できる北堤からのながめは素晴らしく、新しい憩いの場として人気が高まっています。
隣接する狭山池博物館は、世界的に有名な建築家、安藤忠雄さんの設計によるもので、狭山池との一体感や水をイメージした建物が、まちの新しいランドマークにもなっています。

狭山池博物館

ようこそ、狭山池博物館へ

狭山池は、飛鳥時代(西暦616年ごろ)に誕生した日本最古のダム形式のため池です。狭山池の改修には、奈良時代の行基、鎌倉時代の重源、江戸時代の片桐且元など歴史上の有名な人物がたずさわってきました。1400年の歴史が重なる堤、水を取り出す樋、堤の滑りを防ぐ木製枠工などの文化遺産には、各時代の知恵と工夫が活かされていました。
狭山池博物館は、このような貴重な文化遺産を未来に継承し、古代からの人々の暮らしに深くかかわってきた「治水」、「かんがい」と土地開発の歴史を、現地から移築した文化遺産を中心に、映像や模型などを使い、わかりやすく紹介します。